僧侶

僧侶

神島 僧侶

2020年入職

4人兄弟の末っ子長男として生まれ
明治から続く寺の跡取りへ

CHAPTER 01

小さい時から
門徒さんにかわいがっていただき
自然に道を目指す

私のお寺は栃木県の那須塩原市にあるのですが、その礎は、明治時代の那須疎水の灌漑と深く関わりがあります。地盤が粘土質で、雨が降ると近くの川は大暴れする塩原。そんな場所を開墾するには団結力とリーダーが必要ということで、北陸から真宗門徒の方がいらっしゃり、その方の要請に応じてお寺が作られたそうです。私は6代目ですが、姉が3人おりましたので、漠然とお寺を継ぐことを意識していました。小さい時から門徒さんにかわいがっていただき、自然に道を目指したように思います。9歳で得度を取り、地元の高校を出て大谷大学の真宗学科へ。その後大学院で2年学びました。

CHAPTER 02

修士を出ても不安があり
実績を積むため證大寺へ

修士までは順調でしたが、すぐに寺を継げる実績は当然ありません。「この状態で戻ってどうするのだろう」という漠然とした不安や、何も知らないという危機感がありましたし、父も「外に出た方がいい」と言っていました。そこで大学の学生支援課に相談したところ、證大寺を薦められたのが修業のきっかけです。面接を受けるために上京した時、九州大谷短期大学学長の三明先生の講義を聴いたことを覚えています。自ら足を運び、講義を受けにいくこと自体が新鮮でした。こうした講義を熱心に開いているお寺なら、勉強もたくさんできるし、不安も解消できるに違いない、ぜひお願いしたいという気持ちで面接を受けました。

CHAPTER 03

法事での説法が行えるなど
他の寺ではできない経験を積む

冒頭に私のお寺の歴史を述べましたが、證大寺の面接の際に、證大寺住職から「神島さんのお寺の開基は?」と聞かれた際、お恥ずかしながら何も答えられませんでした。「まずはそこからだね」という住職のお言葉とともに、私の修業は始まったのです。これまで法務などさまざまな経験をいたしましたが、印象に残っているのは、東銀座に證大寺が開いている「仏教人生大学」の運営や広報の仕事です。参加される方と一緒に講義を聴講したり、座談会での交流はとても勉強になりました。

地元のお寺には年配の方が多いですが、東銀座はいろいろな方がいらっしゃり「退職したらどうしよう」「突然病気に見舞われた」といったお悩みを傾聴する事も多々ありました。もちろんまだ若いので「そんなことでどうするんだ」とお叱りを受けたこともありますが、それらの全てが、今の自分を育ててくれたと思いますね。

CHAPTER 04

4年間の修業の中で見つけた
「自分なりの住職像」とは

證大寺では、新人であっても毎朝の勤行の法話などご法話をさせてもらえる機会が多いので、何にも代えがたい経験が積めたと思います。今、自分の言葉で聞法会が開けるようになったのも、證大寺で「仏教」そのものを徹底的に学ばせてもらったからです。浄土真宗は念仏の教えを軸に「どう思い、どう生きていくか」が大事なのですが、父親ともそういう話ができるようになったのも、證大寺での修業のお陰です。

今後は、門徒さんの今の気持ちや、どんな言葉がけをするかを常に考え「人ごとにせず、寄り添う」ことを第一に考え、教わったことを最大に活かせるよう、いっそう励みたいと思います。私の好きな『歎異抄』にある「ひとえに親鸞一人がためなりけり」という言葉にあるように、全てを自分ごとにできる住職を目指しています。2023年の終わりに地元に戻りましたが、お寺の行事をする際のお荘厳(お仏壇のお飾りやお供え)を整える時などに、ふと證大寺での日々を思い出します。振り返ると、修業時代には数えられないほどの失敗がありました。しかし、長い目で見てサポートしてくださり、「次、どうしたらいいのか」をしっかり伝えてもらったので、実務に携わりながら勉強できたと思います。證大寺の先輩僧侶の方もそうですが、事務方の皆さんも魅力的な方ばかりで、彼らと接する中で背筋が伸びる気持ちになることもよくありました。いつでもどんな時でも見ていてくれて、しっかりと支えてくれる。證大寺は、そんな恵まれた学びの場であると私は思います。證大寺を卒業するに当たり、ご住職から最初に宿題を出されていた自坊の開基住職がどんな人で、どんな想いで那須塩原にお寺を建立されたのかを自分の言葉で言えるようになりました。私がそうであったように、大学や学院を出た後にいきなり自坊に戻るのではなく、證大寺で研修を積むことで生涯、僧侶として生きていく基礎が養われます。これからも證大寺の報恩講や勉強会に参加をして参りますので、皆さんの先輩として助言ができることがあればと思います。

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