僧侶

僧侶

目﨑 僧侶

2019年入職

環境の似ている井上住職の元で
證大寺での学びを続ける日々

CHAPTER 01

證大寺で多くを学び
それを持って自分のお寺に帰る

森林公園昭和浄苑に在籍中の目﨑です。證大寺に入り5年目を迎え、年齢も上から2番目になりました。私は神奈川県の出身で、大谷大学に進学し、2014年まで研究職として残りました。その後、2019年までは東本願寺の同朋会館へ。全国の門徒さんの宿泊や研修のお世話をしながら5年勤めました。

その頃すでに結婚し子どももいた私は、実家を継ぐことを考えましたが、お世話になった先輩から「東京教区に證大寺というお寺があり、(実家と同じ)関東圏なので見てみたらどうか」という話を聴いたのです。私のお寺は父親が開基住職としてお寺を建立して私で2代目です。證大寺の住職も、先代住職が首都圏開教で九州から都内にお寺を移設されてから、私と同じ2代目になります。お寺を開くのはとても大変なことで、仲間や師匠を見つけたり、上下関係が重要になる厳しい世界です。ですので、同じ境遇で何歩も前を進んでいらっしゃる井上住職に直接学び、それを持って自分のお寺に帰ろうと考えたのです。加えて勤務先の森林公園昭和浄苑の庫裡(住居)に家族で住まいできるようご配慮いただいたのも助かりました。

CHAPTER 02

友達との他愛ないケンカから
仏法の有り難さを痛感する

私の祖父は新潟の出身。近所は全員目﨑姓で、屋号で呼んでいたそうです。その中に仏教に詳しい方がいらっしゃり、祖父は戦地に赴いた際、仏教の教えに大変励まされたそうです。復員しても「私は仏様に生かされた」といつも話しており、仏様や命への感謝の気持ちを祖父から継承したいと、父は僧侶となり開教に踏み切りました。それまでは住居だったわが家は、認可後改築へ。見た目は住宅なのに、中には仏間と本堂がある家に住み、法要が始まると2階に上がる私は「お寺の子だけどなんか違う」という状況から、同級生によくからかわれました。

そんな私に転機が訪れたのは高校生の時。週末に遊ぶ約束をしていた友人と、金曜日にケンカし、ぽっかりと空いた週末をモヤモヤと過ごしていた時でした。気づくと階下から法話の声が聞こえてきたので、1階に降りてみたのです。すると、学校では教えてくれないような話をしていました。内容は「人生でいい実がなっているなら、どんどん水を与えて育てましょう。悪い実なら水を枯らしましょう。そして自分の行いを見直しましょう」というようなものでした。ケンカの原因は、思い出せないほど些細なことでしたが「僕は悪くない」の一点張りだった私。友達の気持ちなど一切考えていなかったことに気付き、深く反省しました。そして、自分を省みることで気持ちが晴れた私は、仏教を知りたいと思うようになったのです。

CHAPTER 03

法要も一から教えますよという
心強く有難い言葉に感謝の日々

現在は、7:30に開門してお花屋さんを迎え、8時30分から30分ほど本堂にてお朝事(おあさし)。お朝事では職員やご門徒さんが参加して、正信偈同朋奉讃、『歎異抄』拝読、参加者の感話を受けて法話。その後は永代供養墓に移動して読経。森林公園は広々としており、本堂があり、僧侶がいる環境。ですから「いつでも話しましょう」「どんな小さなことも訊いてください」という雰囲気を出すようにしています。

證大寺の魅力としては、やはり法務を実際に学べることだと思います。あまり知られていませんが、通常お寺で修業する際は、一般企業でいうところの「経験者」が求められます。「1人でお葬式を執り行えません」という人は入れません。しかし證大寺なら大丈夫です。私も大学で知識を得て東本願寺に入りましたが、実務をしていなかったので「葬儀ができないのですが大丈夫ですか」と訊きましたが、「もちろん、いちから教えますよ」と言ってもらいました。自分のお寺に帰る際、一番不安なのは法務の作法。講師として仏教を教えることはできても、お経と法話を併せて経験が積めるお寺は、日本でも少ないのではないでしょうか。

また、さまざまな講師から話が聞けるのもいいところです。中でも、九州大谷短期大学学長の三明先生からの学びは特別です。聴講のほかに職員向けの講座もあり必死でメモしたものが自分の内に積み重なり、日々の法話で活用できるのです。これも、證大寺が学びの場として最適だという証。多くの人に自慢したいですね。

CHAPTER 04

周りの言葉で変化に気づき
日々の暮らしから
大切なことに気づく

證大寺に入ってから、周りの先輩方に「芯が通ってきた」と言われるようになりました。数えきれないほどの失敗をしてきましたが、日々学びを積み重ねてきたことで、言葉の表面だけでなく、その重みが腹落ちしたのだと思います。ご住職や先生のお陰ですが、少しずつ積み重なった自信が醸し出されていたのなら、嬉しいですね。自分の経験からお話しするとするなら、本気でやりたい人こそ外に出ることを薦めます。親から教わるとひいき目になったり、逆にケンカになりますからね(苦笑)。外に出たからこそ、客観的視点ができると思うんです。

現在、森林公園を任されていることもあり、責任感が生まれ、作法を学ぶことで日々背筋が伸びる思いがします。例えば自宅ではモノを何気なく置いたりしますが、お寺では真っ直ぐ音を立てないよう置く。お経もただあげるだけではなく、くしゃみをしている方がいたら、本堂が寒くないのか考える。こうした小さなことに「気づく」ことが、気遣いや学びに繋がるのだろうと信じています。

これからも、私の修業は一生続きます。学び、吸収して伝え、また学び…をひたすら続けていくことでしょう。井上住職と一緒におりますと、率先して仏法を求める姿勢を感じます。ですから、自分だけが発信するのではなく、「一緒に講座を聴きにいこうよ」という気持ちで、救いを求める方や悲しみを抱える方と一緒に勉強し、よりいっそう人生を深めていきたいと思います。

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